わたしは非嘔吐カショさんを25年以上やっている・・・
とは言っても、今では不安やストレスを感じると暴食する傾向があるってだけで、もはや病気としての”過食症”とは言わなくていいんじゃないかと思っている。
どうであれ、”過食症”に助けられてきたこともあったわけだし、自分のアイデンティティの一部になっているのであれば、完治しなくても うまく付き合っていけばいいじゃないかと思うのだ。
今日も 毎日の楽しみである一日一回のお食事、結構食べたのに ”まだ食べたい!”と過食脳が訴えてきた・・・
だから もうちょっと食べてみて、それでもまだ食べたかったから またちょっと追加で食べて・・・を繰り返し、
もっと食べようと思えば手当たり次第にあるものを食べつくすこともできたし、さらにスーパーに食べ物を買いに行くことも、外食しに行くこともできたのだけれど、
軽く我に返ったら 😲
もちろん もうお腹は空いていないし、どうしても今食べたいものがあるわけでもなくて・・・
いっぱい食べたけれど、カショには至らずに 本日のお食事終了!
”ご馳走さま” ができた 🙏
”我に返った”瞬間・・・
なにかに憑りつかれていたように行動していた自分に気づく!
気づくこと、意識的でいること、いわゆるマインドフルネス。
瞑想の習慣は大事だと思った。
わたしは10年前くらいにヨガを始めて、ヨガと瞑想は結構セットみたいになっていたから瞑想もやるようにはしてみたのだけれど、考え事をして終わるか 眠くなって寝てしまうかという感じで 何が良いのか全く分からず、好きになれずにいた。
その後 2年前にある瞑想のイベントに参加したのをきっかけに なんとなくできるだけ毎日瞑想するようになり、なにか神聖な体験をすることが瞑想なのではなく その時起こることそのものが瞑想なんだと言われて、 考え事をして終わってしまったときも 眠ってしまったときも、それも瞑想でいいんだと思えるようになってから 毎日静かに座る時間が楽しみになっていった。
瞑想 ”Dyana" とは 本来自然に起こるものであって、「〇〇瞑想」というようなテクニックを使うものは 本当の意味では瞑想ではないと インドでヨガを学んでいるときに教わったのだけれど、それが難しいからテクニックを使って練習をするところから始めればいいのだ。
わたしの場合、本来の意味での瞑想ではないかもしれないけれど 自分の状態によって いろんな瞑想をチョイスする。
思考がうるさくて次から次へといろんなことを考えてしまうときは 呼吸に意識を戻す瞑想、地に足がついていない感じがする時には グラウンディングする瞑想、過食してしまったり自分を責めてしまうようなメンタルの時には セルフコンパッションの瞑想、なんとなく落ち着かなかったり不安を感じるような時には 丹田を意識した瞑想など・・・。
そのときの自分の状態によって、いわゆる”瞑想テクニック”を使い分ける。
今ではそんな時間が楽しみになっている 😊
そうやって静かに座る時間を作ると、その日その時の自分の状態に気づけるようになり、それが日常生活の中でも、無意識な行動の合間に はっ!と我に返る瞬間に繋がるのだと思う。
”過食のスイッチが入って 憑りつかれたように食べ続けている自分”に気づく・・・
その”気づき”こそが、過食が治まっていく第一歩なのでしょう 🙄